世界史の糸

レオナルドやエジソンにはなれないけれど

ジェネラリストでもスペシャリストでもない、一教師の試行錯誤の記録。旧ブログ名:世界史の糸から改題しました。

授業実践:アジア市場の攻防

資料 『ガリヴァー旅行記

(ガリヴァー旅行記は、イギリス人ガリヴァーが冒険を求めて様々な(架空の)場所を旅する物語。物語ではあるが、当時のイギリスを取り巻く社会や貿易による世界認識を反映しているといわれる。以下の引用は航海の途中、日本が登場してくる場面)

(ガリヴァーは)国籍だけは、いろいろ考えたあげく、結局ごまかして、D 人ということにしておいた。というのは、私(ガリヴァーのこと。以下同様)の行きたいと思う国は日本であって、この王国に入国を許可されている唯一のヨーロッパ人は、ただD  人だけだということを知っていたからである。

…一七〇九年五月六日に、私は国王陛下と友人諸君に対していとも厳かに別れを告げ…六日待機したのち、日本まで私を乗せていってくれる船を見つけることができた。航海には十五日かかった。われわれは、日本の南東部にある小さな港町で、ザモスキという所に上陸した。町は、狭い海峡になっている海の西岸に臨んでおり、その海峡をさらに北上すると長い入江があった。その入江の北西部に臨んでいるのが、この国の首都エドなのだ。江戸では早速拝謁を許され、親書を奉呈した。親書は礼儀正しく開封され、通訳がその内容を皇帝に説明した。そのあと、願いがあれば何なりと申し出るがよい…との陛下の御沙汰(ごさた)を私に伝えてくれた。…私はD の商人で、ずっと遠い国で難破事故に遭い、陸路と海路を経てそこからラグナグに辿りつき、さらに、わが国の連中がしばしば交易のために来ると聞いていたこの日本へやってきた者だ、できればそういった連中と一緒にヨーロッパに帰る機会に恵まれたい、だから私を無事にナンガサク1まで送り届けるように(していただけるとありがたい)と答えた。それから、もう一つお願いがある、…D 人に課せられている例の儀式、つまりあの「E 」の儀式を行うことを私に対して免除するという、陛下の特別のご承諾があれば有難い(ありがた)…と私はつけ加えて言った。「E 」についての私の懇願を、通訳の口を通して開かれると、皇帝はいささか驚かれた様子であった。そして、この問題でそんなに気を揉むのはD 人の中でもお前が最初だと思う、正真正銘のD 人だかどうだかどうも怪しくなってきた、本当はクリスチャンではないのか、どうも心配だ、と言い出された。(この後、なんとかごまかし協力を得てナンガサクへ向かう)

…長くて辛い旅だったが、やっとのことでナンガサクに着くことができた。一七〇九年六月九日のことであった。早速、四百五十トンの頑丈な船で、アムステルダムから来ていた、アンボイナ2号に乗っているという数人のD 人船員と仲良くなった。私は以前D に長いこと住んでおり、ライデンで研究を続けたこともあるので、D 語は自由に喋ることができた。出典:スウィフト『ガリヴァー旅行記』282、300-303pp

問1 Dにあてはまる国を答えよ。

問2 Eに当てはまるものを漢字2文字で答えよ。

問3 下線部1について、これはどの場所のことだと考えられるか、答えよ。

問4 下線部2について、この船の名称は、同名の事件に由来していると推測される。この事件について、1行(40字程度)でまとめよ。

 

 

  • 対象学年 3年生
  • 想定所要時間 10分
  • 教員のねらい

 中学校で学んだ知識を活用させる。日本史に関係する資料によって、生徒の関心を高める。

  • 想定難易度

 問うている知識自体はやさしい。きちんと本文を読み、既存の知識と組み合わせて考えることができれば容易に解答できるであろう。

  • 実践してみた結果

 特に苦戦している様子は見られなかった。鎖国あたりの知識は、中学校のころ社会科が苦手・嫌いであった生徒でも、さすがに身に着けている者がほとんどであったようだ。ただ、やはり10分では終わらなかった。アンボイナ事件の概要をまとめさせる作業も、意外に時間がかかった。

 世界史授業における『ガリヴァー旅行記』の用いられ方は、イギリスの海外植民地獲得と関連させるものが多かったように思えるが、今回はあえて日本に関する記事を取り上げることにした。ここ数年、生徒に聞いてみたところ『ガリヴァー旅行記』を読んだことのある生徒は(絵本や児童書という形でも)ほとんどいなかったため、まずは興味を持ってもらうことが大事だと思ったからである。

 今後の課題としては、せっかくアンボイナ事件について取り上げているため、イギリスとオランダの関係をさらにつっこんで扱いたい。アンボイナ事件、航海法、名誉革命など、17世紀におけるイギリスとオランダは教科書でもあつかわれる重要事項が多い。アンボイナ事件でイギリスとオランダの対立が深まったであろうに、なぜガリヴァーがオランダで学び、オランダ人と友好があるのか、といった点を考えさせると、17世紀のイギリスとオランダの関係性をより深く学ぶことができるであろう。