世界史の糸

レオナルドやエジソンにはなれないけれど

ジェネラリストでもスペシャリストでもない、一教師の試行錯誤の記録。旧ブログ名:世界史の糸から改題しました。

教材:対独プロパガンダ

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戦争におけるドイツ「文化」:ロイド・ジョージはイギリスの戦争プロパガンダを遂行する組織(British War Propaganda Bureau)の設置を命じられた。彼はこの組織の長に、優秀な書き手でもあった自由党のチャールズ・マスターマンを任命。組織の最初の仕事はドイツ軍がベルギー市民に対して組織的に虐殺・拷問行為を行っているという情報に信憑性を与えることであった。出典: Benson,T.S., The Cartoon century modern Britain through the eyes of its cartoonists(Cornerstone, 2007),48p.
 
 
  • 今Benson,T.S., The Cartoon century modern Britain through the eyes of its cartoonists(Cornerstone, 2007)という本を読んでいる。20世紀にイギリスで出版された風刺画を集めたものだが、イギリスに限らず世界史的出来事を多く扱っていて便利である。
  • 学校の教科書や資料集では、第一次世界大戦に関する画像資料は多くが軍隊募集(特に女性を描いたもの)であり、上図に見られるような他国に対する風刺画などは第二次世界大戦におけるものが中心であった。
  • 他国・他民族に対する偏見や印象操作などのプロパガンダが多く実施されていたことは、これまでの学校での歴史教育ではあまり行われてきていなかったように思う。下手をすると他国・他民族に対する生徒の偏見を助長してしまうという懸念はあるが、事実としてプロパガンダが積極的に用いられていた、また現在でも用いられている以上、授業でもきちんと扱うべきではないか。
  • この資料では第一次世界大戦プロパガンダにおいては比較的ポピュラーな、「ドイツ軍によるベルギー市民への残虐行為」その中でも特によく流布したとされる「子供を刺し殺す」様子がきちんと描かれている。アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則』(草思社、2015)などを活用しながら、戦争の一側面をきちんと学べる授業を作りたい。

「π型学習」

  • 総目次に見る時代性
    •  歴史教育者協議会『歴史地理教育』の総目次を眺めると、特に古い年代のものに関しては強く時代性を帯びており、興味深く考えさせられるものが多い。
    •  眺めているうちに「π(パイ)型学習」という私にとって見慣れない言葉が飛び込んできた。私は大学では歴史を専攻していたため、教員免許はとっていても教育学に関しては全くの素人である。講義も免許取得のために受講するという意識が当時は強かったし、また教員採用試験の教育学関連の知識ももはやほとんど忘れてしまった。「π型学習」という言葉は見たことがあるかもしれないが、まったくその内容に検討がつかなかった。
  • π型学習とは
    •  日本社会科教育学会『新版 社会科教育事典』(ぎょうせい、2012、80p)によると、1969年の学習指導要領の改訂によって「中学校社会科では、地理的分野と歴史的分野を並行して学習させ(地歴並行学習)、その基礎の上に公民的分野の学習を展開する」ことが原則とされたが、これを「π型学習」と呼ぶそうだ。これに相対立するのが「ザブトン型学習」で、「π型学習」より以前の1958年の学習指導要領の改訂によって「3分野性の中学校社会科が制度として確立し、第1学年で地理的分野、第2学年で歴史的分野、第3学年で政治・経済・社会的分野を学習させる」学習配列が原則とされていたらしい。中学校社会科の学習配列をこのように呼び表していたとは知らなかった。高校教員とはいえ、ちょっと恥ずかしい。
  • 『歴史地理教育』の立場
    •  『歴史地理教育』の総目次では、「π型学習」の言葉が出てくるのは1971年の11月号である。これ以降「π型学習」に関する論考が断続的に見受けられ、1973年からは毎号設けられている特集でも取り上げられている月がある。1974年までの目次の文言から察するに、『歴史地理教育』の立場としては「π型学習」にかなり批判的な立場をとっている。私としては学年ごとに教科を分断するより、歴史・地理・公民的内容をまとめて扱ったほうが、その相互連関性から考えて理解が深まるのではないかと思うが、当時はどのような議論がなされていたのだろうか。
  • 制度やカリキュラムへの関心を
    •  いずれにせよ今回の疑問を通じて、自分の関心や知識が教室内実践に強く偏ったものであり、制度やカリキュラムといった点に関する無知を思い知らされた。もっと学ばなくてはならないが、『歴史地理教育』の総目次に現れた時代性は、学びの入り口として役立ちそうである。

教材:イングランドとワイン

  • 「大半の年は豊作で、食糧は充分にあった。夏の平均気温は二十世紀の平均よりも○・七度から一・○度高めである。中央ヨーロッパの夏はさらに暑く、現在の平均気温よりも一・四度高かった。五月に霜が降りると、寒さに弱い作物はやられてしまうが、一一〇〇年から一三〇〇年にかけては、そのような霜害もほとんど見られなかった。夏は暑く乾燥した日々がつづき、イングランドでは南部や中央部でもブドウ畑がつくられ、ヘレフォードウェールズとの国境地帯のような北の地域にまで広がっていた。市場向けのブドウの畑は、二十世紀の北限よりも三○○キロから五○○キロ先まで広がっていた。いちばんの温暖期には、多くの領主がイングランド産の極上ワインを通飲したので、フランス人は貿易上の取り決めを結んで、イングランド産ワインが大陸に流入するのを防ごうとした。」出典:ブライアン・フェイガン『歴史を変えた気候大変動』、河出書房新社、55-56pp
 
 
 
  •  百年戦争は様々な要素を取り上げて話をすることができるから(ノルマン=コンクウェスト以来の英仏封建制、ヨーロッパ王族における国際結婚網、王権主導の中央集権化、武器の変化、ジャンヌ=ダルク…)何を取り上げるか迷う。そんな中、百年戦争の一側面として、ワインを巡る攻防に光が当てられてしばらく経つ。
  •  キリスト教聖餐式における重要性、生産地と気候の関係などを扱うことにより、文化や地理に目配せした内容となることが期待される。数年前にワインから見た百年戦争の授業を考案しようとしたが、結局形にならないままここまできてしまった。教員からの一方的な教授になってしまい、単なる蘊蓄に終始してしまいそうだったからである。
  •  最近またこのテーマにチャレンジしてみたいと思い、資料を探していたところ、上記のようなものを見つけた。現代の地理的知識からすると、なかなか興味深い資料である。この資料を用いて従来イングランドで栽培されていたブドウが環境変化により育てることができなくなり…といった形で授業を展開すると、地球環境の変化による影響の大きさを生徒に効果的に伝えられるかもしれない。
  •  ただこの記事を書いていて、ワインはあくまでも切り口に使う程度の方がいいなという気持ちになってきた。百年戦争の含有する多様な側面を切り捨ててしまうのは惜しいし、一面的理解にもなりかねない。せっかく長期間に及ぶ出来事であるのだから、できれば2~3時間くらいを百年戦争に配当して、中世ヨーロッパで学ぶ諸要素をできるだけ多く、具体例を取り上げられるような授業にしてみたいものである。

教材:漢王朝と儒家

  • 『馬上に天下を得るも、馬上をもって之を治むるは難し』「漢の儒者陸 賈が高祖劉邦をいましめたことばの一節。平民出身で天下を統一した高祖が武を誇り、文を軽視したので、文治の重要性を教えたもの。武力で天下を統一できても,武力で統一を維持することはむずかしいという意味をあらわす。」出典: 江上波夫 『新訳世界史史料・名言集』 167p
 
 
  •  項羽と劉邦の対照的パーソナリティは有名である。だからこそ、こうした史料は劉邦のイメージを修正する可能性のあるものとして面白い。一般に語られる劉邦のイメージは項羽との決着までが大半で、項羽を下したあとの劉邦がどのような人物で、どのような統治をおこなっていったのか、よくわからない。
  •  また秦王朝の法家思想から漢王朝における儒家思想への転換も有名で、この史料は発言者が儒者であることから、こうした転換を読み取ることも可能であろう。
  •  だが、秦→漢における法家→儒家という転換という「物語」はわかりやすいし授業をする際にはかなりこの歴史像に乗っ取ってしまうのだが、自分としてはあまり腑に落ちた歴史像ではない。
  •  というのも、中国のように中央集権体制(郡国制から郡県制への転換など)を整える国家において、法家的な要素が決定的に必要になるのは当然に思えるからである。これは現代的常識を過去に当てはめてしまっているのだろうか?しかし六部の「刑部」や「律令格式」など、これらは明らかに法家的基盤によるもののような気がする。このあたり、中国史ではどのように説明されるのだろうか?まだまだ勉強が必要である。

教材:リトアニアの独立運動

  • 史料本文
 リトアニアは、人口370万人を擁するバルト海に面した国である。1991年に、51年に及ぶソヴィエトの支配を脱して独立をかち得た。ヴィタウタス・ランズベルギス大統領は下の文書の中で、リトアニアが(ラトヴィアやエストニアも同様に)なぜゴルバチョフが温めていた共和国分計画の先回りをしたのか、その理由を説明している。
《独立を回復するのに半世紀待った以上、今さらあわてても仕方ないという人がいる。しかし、ゴルバチョフの我々に対する振る舞い方から判断するかぎり、彼が練る例の分離計画を呑まざるをえないとすれば、我々はさらにもう50年待たねばならなくなるだろう。実際、共和国分離法は、それを適用するかぎり、いかなる共和国も決して連邦を離脱できないようにできている。そこに定められた諸規則はまったく不当である。いかなる共和国もこのような規則を受け入れはすまい、と私は確信している。(略)いずれにせよ、リトアニアソヴィエト連邦に加盟した覚えは絶対にない。したがって、たとえ分離法がわれわれの独立宣言以前に知られていたとしても、この法律をわが国に適用することはできないだろう。1989年12月の第2回ソ連人民代議員大会でも、1939年のモロトフ=リッペントロップ秘密議定書の違法性を認めざるをえなかった。この議定書の帰結の一つとして、翌年リトアニアは併合されたのである。》(ヴィタウタス・ランズベルギス「国際政治」1990年夏季号所載)
出典:フレデリック=ドルーシュ,『ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書』,396p
 
 
  •  バルト三国の独立に関して、教科書の扱いは小さい。山川の教科書ではソ連解体自体一段落分の記述であるが、その中に『東欧における急速な民主化ソ連邦内の諸民族にも大きな影響を与え、バルト3国をはじめとした独立運動が始まった。』とあるだけである。東欧革命(この言葉は山川の教科書では使われていない)に比べるとその扱いは非常に小さいが、もっと大きく取り上げられてもいいのではないかと思う。東欧革命が「衛星国」の分離であったのに対し、バルト3国のケースはソ連を構成していた共和国が「独立」したものであり、両者は質的に異なるものと考えている。ゴルバチョフのリーダーシップの崩壊を考える際の材料を、バルト3国の独立運動は我々に与えてくれているのではないか。
  •  もちろん、史料に明言されているところから、バルト3国の民族意識・歴史意識の強さや高まりを読み取ることもできる。ただ前述のようにバルト3国自体の歴史と、ソ連における他民族への抑圧的支配体制の具体的な記述は日本の教科書にはごくわずかなため、授業においてこの史料の読み解きはなかなか骨が折れるであろう。多民族国家としてのソ連などのテーマを取り上げるときには重宝しそうである。

教材:金玉均「東洋のイギリス、東洋のフランス」

  •  金玉均「日本を見習わなければならない。日本が東洋のイギリスならば、朝鮮は東洋のフランスになるのだ」出典:岡百合子、『中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史』201p

 

  •  最近意識しているのは、歴史上の人物の発言を収集しておくことである。教科書で学ぶ歴史事項が、歴史上の人物の発言によって生き生きと理解できる…ことを狙っている。例えば上記の金玉均は、世界史では甲申政変のところで登場するが、山川の『詳説世界史B』における記述は、
      • 「当時、朝鮮内部では、攘夷派と改革派の対立に加えて、改革派の中にも日本に接近して急進的な改革をはかろうとする金玉均らと…その結果、攘夷派の兵士らによる壬午軍乱(1882年)や急進改革派によるクーデタである甲申政変(84年)など内争がしばしばおこった。」
  • とされており、金玉均に対する説明は実にあっさりしている(別に金玉均に限った話ではないが)。金玉均らが目指したのは日本の明治維新にならった改革であったことなどは記述されていないが、教員が口頭で捕捉しつつ上記のような資料を使うと、金玉均に対するイメージが作りやすいのではないかと思う。なぜ日本=イギリスで、朝鮮=フランスなのかという問いを投げかけてみるのも面白い。
  • こうした名言録みたいなもの、特に歴史学習に特化したものがあると非常に便利だと思うのだが。もしこうした趣旨の書籍をご存じでしたらぜひご教授ください。

授業に関する近況、雑感12 世界史の授業で文章指導

  • 横断的文章指導の必要性
    • 生徒の文章力をなんとかしなければならない。授業のワークシート、テストの文章問題、入試の小論文など生徒の文章に接するたびにそう思う。教員になりたてのころはこういった領域は国語科の担当であると考えていたが、現在では、もはや国語科だけにまかせていられないと感じている。
    • 結局のところ、どんな科目・学問であろうと言語を通じて学ぶことは共通しており、なにも国語の授業だけに言語能力・文章力育成を任せることはない。というか現実問題として国語の授業だけでこちらの要求する水準の言語能力・文章力が身についていないのだから、こちらとしても、世界史の授業における文章指導をやらねばなるまい。
  • 指導対象を2つに分類する
    • 要改善の生徒の文章を見るに、大別して2つに分けられると思う。一つは文章が支離滅裂、主語や述語の対応がないなど、内容のレベルではなく、正しい文章として成立していない段階。もう一つは一文単位ではそれほどおかしくないが、時系列・因果関係・論理展開が意識されておらず文章全体としてみるとおかしいという段階である。
    • 個人的には前者のほうが、むしろ矯正しやすいというか、アドバイスがしやすい。後者のほうが文章構成を指摘せねばならず、こちらとしても赤ペンをどのように入れればよいか途方にくれることが多い。書くべき内容を変えたほうがよいケースも多いから、対面で指導したほうが楽なのだが、人数が増えてくるとそうもいかなくなってくる。
    • こうした問題意識を抱えつつ、文章指導について、最近になって試行錯誤を始めた。次回はその実践内容を取り上げたい。