世界史の糸

レオナルドやエジソンにはなれないけれど

ジェネラリストでもスペシャリストでもない、一教師の試行錯誤の記録。旧ブログ名:世界史の糸から改題しました。

教材:リトアニアの独立運動

  • 史料本文
 リトアニアは、人口370万人を擁するバルト海に面した国である。1991年に、51年に及ぶソヴィエトの支配を脱して独立をかち得た。ヴィタウタス・ランズベルギス大統領は下の文書の中で、リトアニアが(ラトヴィアやエストニアも同様に)なぜゴルバチョフが温めていた共和国分計画の先回りをしたのか、その理由を説明している。
《独立を回復するのに半世紀待った以上、今さらあわてても仕方ないという人がいる。しかし、ゴルバチョフの我々に対する振る舞い方から判断するかぎり、彼が練る例の分離計画を呑まざるをえないとすれば、我々はさらにもう50年待たねばならなくなるだろう。実際、共和国分離法は、それを適用するかぎり、いかなる共和国も決して連邦を離脱できないようにできている。そこに定められた諸規則はまったく不当である。いかなる共和国もこのような規則を受け入れはすまい、と私は確信している。(略)いずれにせよ、リトアニアソヴィエト連邦に加盟した覚えは絶対にない。したがって、たとえ分離法がわれわれの独立宣言以前に知られていたとしても、この法律をわが国に適用することはできないだろう。1989年12月の第2回ソ連人民代議員大会でも、1939年のモロトフ=リッペントロップ秘密議定書の違法性を認めざるをえなかった。この議定書の帰結の一つとして、翌年リトアニアは併合されたのである。》(ヴィタウタス・ランズベルギス「国際政治」1990年夏季号所載)
出典:フレデリック=ドルーシュ,『ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書』,396p
 
 
  •  バルト三国の独立に関して、教科書の扱いは小さい。山川の教科書ではソ連解体自体一段落分の記述であるが、その中に『東欧における急速な民主化ソ連邦内の諸民族にも大きな影響を与え、バルト3国をはじめとした独立運動が始まった。』とあるだけである。東欧革命(この言葉は山川の教科書では使われていない)に比べるとその扱いは非常に小さいが、もっと大きく取り上げられてもいいのではないかと思う。東欧革命が「衛星国」の分離であったのに対し、バルト3国のケースはソ連を構成していた共和国が「独立」したものであり、両者は質的に異なるものと考えている。ゴルバチョフのリーダーシップの崩壊を考える際の材料を、バルト3国の独立運動は我々に与えてくれているのではないか。
  •  もちろん、史料に明言されているところから、バルト3国の民族意識・歴史意識の強さや高まりを読み取ることもできる。ただ前述のようにバルト3国自体の歴史と、ソ連における他民族への抑圧的支配体制の具体的な記述は日本の教科書にはごくわずかなため、授業においてこの史料の読み解きはなかなか骨が折れるであろう。多民族国家としてのソ連などのテーマを取り上げるときには重宝しそうである。