世界史の糸

レオナルドやエジソンにはなれないけれど

ジェネラリストでもスペシャリストでもない、一教師の試行錯誤の記録。旧ブログ名:世界史の糸から改題しました。

実践記録:ビザンツ帝国

(コンスタンティノープルへ進軍してきた)イスラム1の援軍を破ったのは、テマ(軍管区)の軍団であった。アラブ人の侵入に対応して小アジアの各地に置かれた軍管区は、帝国の支配体制が壊滅状態にあるなかで、農民から兵士を徴募するという方法で、地方防衛のための軍団を維持していたのである。このようにビザンツ帝国を危機から救う役割を果たしたもののひとつが、この軍管区制度であった。(ビザンツ皇帝)レオン三世自身、即位前には有力な軍管区の長官であったが、この制度がいつどのようにして作られたのかはよくわかっていない。記録のほとんど残っていない例の暗黒時代のうちにできたものらしい。いずれにせよ、農民まで動員したところに、この制度の強みがあった。

…(10世紀ごろからビザンツ帝国における軍事力の弱体化が生じる。)先にも少し触れたが、8世紀から10世紀にいたる発展期のビザンツ帝国の軍隊は、おもに農民のなかから徴募されていた。農民のうちのある者は、税金を納める代わりに、みずから武装して軍役についたのである。この制度によって、国家は兵士に支払う給料を大幅に節約できただけではなく、とりわけ防衛戦争においては、士気の高い兵士を確保することができた。ところが帝国の発展を支えてきたこの農民たちのあいだに、10世紀ごろから変化が起こっていた。軍役を果たせない農民がふえてきたのである。帝国の対外発展とともに、彼らは遠い地方へ遠征に出かけることが多くなった。その結果、長期間家を留守にするため、農作業が十分行なえなくなった。国家からもらう給料は少なく、かつ馬や武具は自分もちとされていた彼ら農民兵士たちは、農業経営がふるわなければ、召集がかかっても、それに応じることができなかったのである2。…(一方で一部の)豊かな農民たちは、(ビザンツ皇帝)ニケフォロス二世によって重装騎兵として取り立てられて、特別の保護を受け、もはや農民というよりも、小貴族のような地位についた。他方、そうでない者は従軍のための装備すら手放してしまうありさまであった。

農業経営に行き詰まり、軍役を果たせなくなった農民たちは、土地を捨て、村を出て流浪(るろう)せざるをえなくなった。…村を捨てた農民はどこへ行ったのか。捨てられた土地はだれのものになったのか。一概(いちがい)にいうことはできないが、あえて単純化すれば、「貴族のもとへ、貴族の手に」といえる。そのことは一〇世紀の皇帝たちが出した法律が語っている。皇帝たちは、「有力者」と呼ばれる者たちが農民の土地を手に入れ、本来は皇帝の臣民である農民や兵士を私物化していることを非難し、それを防ごうとしていた。しかしながら、ビザンツ専制君主の代表といってよいバシレイオス二世の法でさえも効果はなかった。

…一〇世紀の農村で進行していた事態は、歴史学の用語でいうなら「3          」である。社会の発展とともに、分業が進んでゆくのがこれまでの歴史の法則であったとすれば、ここに生じたのも新しい時代へと向う歴史の発展であった。同一の人間が農業と軍事を兼ね行なうという体制から、「戦う人」すなわち軍事貴族と、その貴族の土地で農業を行なう小作農民すなわち「働く人」が分かれる方向へと、時代は進んでいた。こうして多くの土地・農民を従える貴族が誕生した。彼らこそが新しい時代の担い手となる。彼らの多くは国家の文武の官僚でもあったが、皇帝からもらう給料に依存していたかつての官僚のように「皇帝の奴隷」と称するのではなく、自分たちの経済力・軍事力に対する自信に支えられて、「皇帝の友人」という意識をもちはじめた。

…(度重なる貴族たちの反乱、クーデターなどによる国家の)危機を克服するには、貴族たちがすでに各地方で行っていた土地・農民に対する支配を全面的に承認するしかない、と(第一回十字軍時のビザンツ皇帝)アレクシオス1世は判断した。

…貴族や修道院に免税特権を与えたニカイア皇帝(第4回十字軍によって断絶したビザンツ帝国亡命政権の一つ、ニカイア帝国の皇帝)の主要な財源は、皇帝直轄領からの収入であった。もともとビザンツ帝国ではすべての土地は皇帝のものと考えられていた4が、貴族たちがみずからの土地所有権を確立したことによって、この建前は11世紀ごろには事実上崩れてしまった。それと平行して皇帝の直轄領(ちょっかつりょう)の制度が整備されてきた。ある意味では、皇帝も他の貴族たちと同じレベルの領主に成り下がったのである。ニカイア帝国の皇帝たちはこの現実を認め、直轄領の経営に努力した。皇帝直轄領の利用法のひとつとして、皇帝に対する軍役奉仕と引き替えに、貴族に貸し与えられることもあった。西ヨーロッパの5                 によく似たこの制度は、プロノイア制度と呼ばれる。プロノイア制度は、地方貴族を皇帝のもとにつなぎ止める方法のひとつとして、ニカイア帝国でも用いられた。出典:井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社 1990年

 

  1. 下線部1について、この出来事は何世紀ごろから始まったか。
  2. 下線部2について、これまで学習でよく似た現象があった。以下の表に整理せよ。

 

 

ビザンツ帝国

時代

 

7世紀はじめごろ~12世紀はじめごろ

原因

 

イスラーム勢力の侵入に対応するため

 

  1. ()3に当てはまるものを漢字4文字でこたえよ。
  2. 下線部4について、日本や中国の歴史においても見られたこの現象を、漢字4文字で言い換えよ。
  3. ()5にあてはまるものを漢字4文字でこたえよ。

 

 

  • 対象学年 2年生
  • 想定所要時間 15分
  • 教員のねらい
ビザンツ帝国に関する諸事項を、既存の学習内容と関連させることで理解しやすくする。
  • 想定難易度
 
教科書や資料集に明示的に記述されているわけではないので思考が拡散し、苦戦が予想される。そのため問題文に工夫をして(これまでの学習でよく似た現象~)、ある程度思考の誘導を図った。
 
  • 実践してみた結果
当初苦戦していた生徒が大多数であったが、ごく少数の生徒が記述ができていたため、その生徒を参考にするよう促すことでなんとか多くの生徒が記述をすることができた。最も難易度が高いのは問2と想定していたが、予想に反して問3と4も非常に苦戦していた。問3と4は中学校の知識との関連であるともいえるため、記憶が薄れているのかもしれない。
 
  • 改善策・課題
  中学校の歴史授業は日本史中心であり、高校の世界史とのつながりは薄い。しかしながら個々の専門用語はともかくとして、中学校で学ぶ概念知識は世界史の学びを助けることも多いはずであり、やはり日々の授業で中学校の内容と関連させて教授を行う必要があるのではないか。