世界史の糸

レオナルドやエジソンにはなれないけれど

ジェネラリストでもスペシャリストでもない、一教師の試行錯誤の記録。旧ブログ名:世界史の糸から改題しました。

授業実践:清朝の諸資料の読み取り

応問a 資料3~6を古い順に並び変えよ。

応問b 資料1~6から、①「文字の獄」②「辮髪」③「清朝皇帝が多民族の長であること」を示す資料を選べ。ただし③は二つ選べ。同じものは二回選べない。

 

資料1 清朝初年、チベット仏教の首領ダライ5世が自ら北京にやって来て皇帝に祝賀の意を述べた。順治帝はダライ5世に接見し、正式に「ダライ=ラマ」 の称号を与えた。のちに康煕帝は、もう一人のチベット仏教の首領パンチェンに「パンチェン=エルダニ」の称号を与えた。以後代々のダライとパンチェンはみな必ず中央政権の冊封を受けなければならなかった。出典:世界の教科書シリーズ 入門中国の歴史607-8pp

応問1 下線部について、冊封体制とはどのような国際体制か、調べて記述せよ。

 

資料2 「留頭不留髪,留髪不留頭」

 

資料3 清朝初期、政権機構の設置の際には明朝の制度にならって中央に内閣六部を置くとともに、満洲貴族からなる議政王大臣会議をも存続させていた。軍事や国政に関するあらゆる大事はみな議政王大臣会議にかけられた。会議が決定したことは、皇帝といえども変更は難しかった。したがって清朝初期には、実権は満洲貴族の手中にあり、皇帝の権力は制限されていた。大臣が専横を振るい権力を握る局面も次々と現れてきた…雍正帝の時、皇帝が腹心の大臣を選んで組織するAが設置された。軍事、国政の大事は完全に皇帝によって裁決され、大臣はただひざまずいて指示文を受け取り、中央各部と地方官吏に伝達し、実行させるだけであった。…このようにして、議政王大臣会議は有名無実化され、乾隆帝の時に撤廃された。内閣も形式的に置かれるだけとなった。わが国の君主専制は頂点にまで発展した。<世界の教科書シリーズ 入門中国の歴史634-635p>

応問3 Aにあてはまるものを答えよ。

 

資料4 金国(後金のこと)の外藩の衆諸王(モンゴル民族の王のこと)の書を朝鮮国王に奉ずる。我等は皆な大明国の恩賞を受けて二百余年になる。我らは大明国に対し好んで変心したわけではない。大明国の諸大臣は奸宄(かんき)(悪人)で財利を重んじて上を偽り、皇帝は遮られてこれを知らず、国家の禍(わざわい)を招いている。彼らの下の将軍は怯懦(きょうだ)(気が弱い)で兵は臆病であり、…天象を見るに、大明国は必ず亡びる。金国のハンは聡明で仁徳を宣布し…公正で法度が明白である。その下の将軍は勇敢で兵は剛強である。向うところ敵がなく、衆人は皆な慕っている。…元来我等外藩は乱れていたが、今ハンの仁徳による教化が誠に明白なので、…混乱が収まっている。…我等衆人は皆な天意に従いハンに尊号を定めること(尊号とは皇帝や天皇などに捧げられる称号。つまり個々の文脈では皇帝に推薦することをさす)に決定した。(外藩モンゴル諸王による朝鮮国王宛書信(天聡十年二月二日)(一六三六年)出典:『世界史史料4』岩波書店、328-9p

応問4 下線部について、この人物は誰を指すか、選べ。

 →〇をつけよ   李自成 呉三桂 鄭成功 ヌルハチ ホンタイジ 康熙帝

 

資料5 聖祖(康熙帝)はまた宮廷生活を簡素にするのに意を用いた。自ら語るところによれば、明の一日分の宮廷費で、清宮廷では一年分が賄(まかな)えたという。この費用がすべて人民の脂(し)膏(こう)(血と汗の結晶)であることを知っての処置であり、これも聖王たるべき実践であった。明末の内廷には女官9000人、宦官10万人がいたとされるが、清廷ではあわせて四、五百人をかかえるにすぎなかった。このため、清は滅亡の日まで、宦官の専横に悩まされることがなかった。<寺田隆信 物語中国の歴史260-1p>

 

資料6 …内閣学士の胡中藻の詩の中に「一把心腸論濁清」という節があり、乾隆帝はこれを見るや、こう言った。「国号『清』の字の上に「濁」を置くとは、いったいどういうつもりなのか」。その結果胡中藻と一族の者は殺され、その余波は彼の師や友にまで及んだ。<世界の教科書シリーズ 入門中国の歴史636p>

 

 

  • 対象学年 2年生
  • 想定所要時間 25分
  • 教員のねらい
教科書本文で学んだ内容・用語を、資料を通じて定着させる。資料を読むことに慣れさせる。
  • 想定難易度
 
選択問題や穴埋めといった形式であるため、また資料文章中にヒントがいくつもあるため、難易度は易しい。きちんと年表、授業プリント、講義内容を照らし合わせれば、すぐに調べがつくはずである。
 
  • 実践してみた結果
かなりの量の資料を掲載しているが、授業前半に予習内容確認と講義、後半に資料問題という形式のスタイルをすでに数回行っていたため、特に混乱した様子はなかった。資料中、難解な用語が出てくることもあるが、全体として何のことを言っているのかを理解するよう、何度も声掛けをした。細かな用語にかかりきりになる生徒が以前いたからである。想定した時間では終わらない生徒もいたが、お互いに教えあうことで大きな時間超過することもなく時間内に作業を終えることができた。いくつかの資料に関しては講義中に触れておいたのも、生徒の作業の助けになったと思う。
 
  • 改善策・課題
とにかく資料を読んでみる、という目的自体は比較的果たせていると思う。問題一つ一つの難易度は低いが、逆にいえば挫折しにくく、かつきちんと資料本文を読まないと回答できないような問題作りを心掛けた。それぞれの資料が①何についての資料か②いつのことを示す資料か、ということを、応用問題aと応用問題bで問うている。センター試験でみられるような問題とは差別化ができているのではないかと思う一方で、一問一答的要素、いいかえればクイズ的な問題になっているような気もする。やはり毎回一問はきちんと思考を文章化させるような問題を確保したいところである。
しかしこうした資料問題に時間を割けば割くほど、講義の時間の圧迫=解説の希薄化、扱う内容の精選は避けられない。ここで取り上げた資料(とそれを読んでの作業)が、はたしてそうまでして扱う価値があるか。講義の時間を削減しても、自分たちで学んでいける生徒であればいいが、現状そうした生徒のほうが少ないため、悩みどころである。大学入試を意識せざるを得ない現状、結局のところこうした資料問題の時間など取らないほうがテストの点数はあがるかもしれない。だが公教育を担う人間として、そうした入試に阿るような授業がよいものだとは思えない。どこでバランスをとるか、悩みは尽きない。