世界史の糸

レオナルドやエジソンにはなれないけれど

ジェネラリストでもスペシャリストでもない、一教師の試行錯誤の記録。旧ブログ名:世界史の糸から改題しました。

教材:トマス・モア『ユートピア』

『こういうわけで、たった一人の強欲非道な、まるで鵜のような、疫病神のような人がいて、広大な土地を柵や垣で一ヶ所にかこってしまおうなんて、とんでもない野心をいだいたばかりに、多くの農民が自分の土地から追出されてしまうことになるのです。或いは詐欺奸計に引っかかるか、それとも烈しい圧迫に屈伏するか、いずれにしても結局土地を奪われるのですが、時には不当極まる迫害のため、すっかり痛めつけられ、やむなく一切を売り払うということもあります。無理無体なといいますか、まるで手段を選ばない卑劣な策動に乗せられ、この憐れな、無知な、みじめな百姓たちは自分の土地から出て行かなければなりません。そこには男女も、良人の妻も、孤児も、更に寡婦の乳吞児をかかえた母親もいます。百姓仕事というものが元来人手を多く要する仕事なので、頭数だけは多いが、財産は殆んどない、といった全家族の者が一団となって出てゆくのです。彼らは住みなれた懐しいわが家を捨てて、とぼとぼと寄るべない放浪の旅に出て行きます。家財道具にしても、もともとたいした値打のあるものではないのですが、それでも時期さえよければ、もっと値段よく売れたかもしれません。しかし今は、あまり突然のことなので、殆んどが、ただ同然の捨売りをするより他に仕方はありません。こういうわけで、あちらこちらと放浪している間には、その金もすぐに使い果してしまいます。そういう時、彼らに残された道としては、泥棒を働き、そしてその結果正しい法の裁きを、そうです、正しい法の裁きを受けて絞首台の露と消えるか、それとも乞食をして歩くか、そのいずれかしかありません。しかし乞食をすればするで、下手すると働きもしないでうろついていたというかどで、浮浪人として牢獄にぶちこまれます。彼らだってどのくらい仕事につきたがっているか分りません。ただ誰も仕事を与えてくれないだけの話なのです。〔それも無理はありません、耕作地が少しもないのですから。〕それで結局、生れた時から手なれている百姓仕事も全く用をなさないことになる のです。従来なら、耕やすのに大勢の人手のいった所でも、いざ喰潰すとなると、家畜と一緒なら、たった一人の羊飼か牧夫でまに合うのです。』トマス・モア、平井正穂訳、『ユートピア』、岩波書店、1957年、28-9pp。
 
 
 トマス・モア『ユートピア』といえば、高校世界史でいえば第一次囲い込みを象徴する「羊が人を喰う」のフレーズばかりが取り上げられる。しかし『ユートピア』はイギリスを風刺対象としながら内容が展開していくため、この有名なフレーズ以外からも当時のイギリス政治や社会を類推させる材料を随所に見つけることができる。上記引用部分は第一次囲い込みと関係する記述だが、「羊が人を喰」ったあとの農民たちの行く末を、また行政の姿勢をも読み取ることができるだろう。こうした生々しい描写によって、生徒はより創造豊かに「羊が人を喰う」第一次囲い込みを考えることができるのではないだろうか。もちろん文学作品である『ユートピア』をどこまで実証のための史料として用いることができるかは考えなければならないが。それに応じて授業への活用の仕方もまた変わってくるだろう。
 実際の授業では以下のような形式の問いを設けることを考えている。それまでの授業内容を踏まえ、『ユートピア』を用いて当時の社会の一面を考えさせるための問いである。まったく推敲していないため、今後よりよい選択肢を考えねばならない。
 
上記の史料と矛盾しないものをすべて選べ。
  1. 当時、ノルマン人やイスラームの進出などで貨幣経済は衰退し、現物経済となっていた。
  2. 十字軍をはじめとしたヨーロッパ世界の拡大により商業が復活し、農村世界も貨幣経済が浸透していた。
  3. 囲い込みを行ったのは富裕な商人である。
  4. 政府は絞首刑を課すことで、囲い込みを禁止しようとした。