世界史の糸

レオナルドやエジソンにはなれないけれど

ジェネラリストでもスペシャリストでもない、一教師の試行錯誤の記録。旧ブログ名:世界史の糸から改題しました。

教材:九儒十丐

    • 教材:九儒十丐
      • 漢代以来、国教的地位の揺らいだことのない儒教は重視されず、その学徒である士大夫たちは、「官、吏、僧、道、医、工、匠、娼、儒、丐」の一〇階級のうち、第九位にランクされる程度の身分として扱われるにすぎなかった。出典:寺田隆信『 物語中国の歴史』中央公論新社、1997年、214p

     

     学生のころの記憶では、元朝といえば「モンゴル人第一主義」であり、有名な4つの身分による社会統制が印象に残っている。第一位に君臨したモンゴル人は、儒学を軽視し、科挙を停止。士大夫層は不遇をかこった。上記に引用した寺田の著作も、基本的にはこうした見解をとっていると思うし、上記史料もまさにこうした見解を裏付けるものとして扱われている。

     しかしながらこのような歴史像は、変更を迫られているようだ。山川教科書には「武人や実務官僚が重視され、科挙の行われた回数も少なかったため、儒学の古典に通じた士大夫が官界で活躍する機会は少なかった」(『詳説世界史B』山川出版社、167-8頁)とされており、科挙が全くなくなったわけではないこと、「官界で」の活躍が少なくなった(人口比では南人がモンゴル人を上回っている)という程度に解釈しているように思われる。

     野口鐵郎編『資料中国史 前近代編』白帝社、1999年 においても、上記史料の記述については『実際に制度的にこのような序列が存在したわけではない…これは強烈な反夷狄感情をもっていた作者のことばである』(同上、181p)としている。また中央・地方政界における4身分の役割についても、いまだ十分な実証が行われたとは言いがたい面があるようだ。

    * なお上記史料について、野口『資料中国史』では鄭思肖によるもので、『一官、二史、三僧、四道、五医、六工、七猟、八民、九儒、十丐』とされている。寺田・野口で引用されている二つの史料中における、二位、七位、八位は明らかに意味が異なるのではないかと思われるが、中国語が全くできないため判断できない。どなたかご存じの方、ご教授ください。

    • 解釈をさせる史料として

     上記の史料自体は簡潔ながらインパクトの強い資料として時間のない授業中でも扱いやすいのだが、上記のように実態と乖離した歴史像を生徒に与えかねない。よって歴史像の実証のための史料というよりも、著者の主観が強く反映された史料として、史料批判の題材として扱ってはどうだろうか。