教材:啓蒙思想家の文章
教材:啓蒙思想家の文章
l 啓蒙思想のわかりやすさと教えにくさ
啓蒙思想の扱いは悩ましい。身分的秩序の中世から、すべての人々の平等へという展開で啓蒙思想を持ち出すことが多い。しかし私の授業では、啓蒙思想の扱いは「理性を持って批判的に従来の秩序・概念を~」といった紋切り型の説明にとどまっていた。これで生徒は啓蒙思想の歴史的意義を汲み取ることができるだろうか?
また啓蒙思想とフランス革命の関連はよく指摘されるところだが、ではそれは具体的にはどのような形で現れるのか?教科書のフランス革命史は連続する事件に焦点が当てられ、思想的背景がわかりにくくなっている。教科書で扱われる啓蒙思想は、その歴史的意義をうまく伝えられていないのではないか。
l 史料で実証する難しさ
「理性を持って従来の秩序・概念を批判的に検討する」。これについても、教科書には思想家たちの具体的な思想や作品が掲載されていないため、こちらで準備する必要がある。だが適当な史料を見つけられずにいた。自分の読書不足もあるが、授業で啓蒙思想に割く時間をあまりとれないため、コンパクトかつ分かりやすい史料を探していた。
また啓蒙思想の限界についても、やはり見ておく必要がある。啓蒙思想による「批判的」な検討や、「平等」の恩恵を受けることができた人々の範囲はいかなるものであったのか。単純に啓蒙思想賛美に陥るのは避けたい。以上を踏まえて史料を探していたところ、以下のような史料を見つけた。
l ヴォルテールの文と活用の方法
『だれでも、自分は他の人々と平等なんだ、と自分だけでは考える権利をもっている。しかし、だからといって、枢機卿の料理人が、主人である枢機卿に私の食事の仕度をせよ、と命令していいということにはならない。しかし料理人が次のように言うのはさしつかえない。「私は主人と同じように人間だ。私は彼と同じように涙を流して生まれてきた。そして彼と同じように苦悩のうちに死んでゆくだろう、彼と同じ葬式をしてもらって、である。彼も私も同じような動物としての行動をしている。トルコ人がローマを占領する、というようなことが起こったあかつきには、そして私が枢機卿となり、私の主人がコックとなったあかつきには、私は彼を私の召使にするだろう」 この言葉は完全に理性的であり、正当である… ヴォルテール『哲学辞典』(一七六四、改訂一七七一)』
本史料では、従来の身分秩序に収まらない「万人の平等」に近い概念が示されている。一方でその概念も一定の留保がつけられており、我々の親しんでいる現代的な「平等」とは少々異なる印象を受ける。このような差異から生じる小さな疑問は、生徒の関心をひいたり授業の展開に利用できるのではないかと思う。