世界史の糸

レオナルドやエジソンにはなれないけれど

ジェネラリストでもスペシャリストでもない、一教師の試行錯誤の記録。旧ブログ名:世界史の糸から改題しました。

教材:洪武帝の漢民族文化回帰宣言

  • 史料本文
  •  元の世祖フビライ=ハンが元朝を建ててから,…一般人もすべて(遊牧民風の髪型)にしたり,蒙古(モンゴル)風の服装をしたりするようになり,甚(はなは)だしい者は,その姓氏の名を蒙古風に改めたりした。…太祖洪武帝はこれを非常に不快とした。かくしてここにいたり,天下に命じて服装を中国制に復させ,髪型も中国風の束髪とした。 …蒙古式の服装,蒙古語や蒙古風の姓氏はすべて禁止することとなった。…かくして100年有余の蒙古風の風俗は,すべて中国風のものにもどったのである。(吉田寅訳「太祖洪武実録巻26洪武元年2月」 「世界史資料」東京法令)

 

 

  •  異民族支配であった元朝を倒し建国された明王朝が、モンゴル的要素を排斥した漢民族王朝であった、というのは非常にわかりやすいストーリーである。この史料もこのストーリーにのっとって説明をする際に用いると説得力が増す、有用な史料となろう。
  •  しかしながら明王朝における民戸・軍戸の別、里甲制や衛所制におけるシステマチックな編成といった要素だけを見ても、前王朝の要素は色濃く残っていると解することもできる。むしろ、上記の漢化政策史料は、国内の漢民族向けのアピールとすら見えてくる。
  •  こうした史料を用いながら、授業のまとめでどちらの解釈を支持するか、議論などができればいいなと思いつつ、結局手を出せないでいる。中国諸王朝は内容が濃く多岐にわたるから、生徒も頭の中で整理できておらず、実践してもまともに運営できる自信がない。だが批判的思考・読解の一事例として、この史料は魅力的である。近いうちに何とか挑戦してみたいものである。

教材:ヨーロッパ中世封建制

  •  『「私どもは、明日、故郷へ帰らせていただきます。」ジャンはびっくり仰天した…怒りを含んだ声で、彼は尋ねた。「なぜじゃ。」ギヨームは、しずかにこたえた。「わたくしが、あなたの臣下となりましたとき、あなたにしたがって戦いにでるのは、一年に 四十日かぎりと、お約束もうしあげたはずでございます。今日が、ちょうどその四十日目。わたくしの義務は、今年はもう、これで、はたしおわりました」かわってアンリは、きのどくそうな顔をしてジャンにいった。「秋がきましたので、故郷へかえって、村人どもの刈りいれを監督しなければなりませぬ。自分の村のことが、いそがしくて、とてもこれ以上、あなたの戦争につきあっているわけにはいきませぬ。」「ではごめん。」ふたりは、ジャンのとめる声もきかず、馬にまたがり、一むちくれると、ゆたかな畑や林をかけのけて、さっさと、それぞれの方向へはしりさっていった。「ううむ、無念!」うなったジャンは、それでは、とおもいなおした。「ギヨームと、アンリの臣下たち。そうだ、かれらを、自分が直接に指揮してたたかおう。」しかし、この考えを知ったギヨームとアンリの臣下たちは、ロぐちにさけんだ。「われらは、ギヨームさまの臣下でございます。ギヨームさまが、あなたさまの臣下であっても、これは、われらになんの関係もないこと、あなたさまは、われらの主君ではございませぬ。」「主君アンリさまが、故郷へかえられたのであれば、われらも、主君にしたがって故郷へかえります。あなたさまの命令をきかねばならぬおぼえは、ありませぬ。」ギョームとアンリの臣下たちは、戦いをやめ、戦場をはなれて散っていった。ジャンはじだんだふみ、…すごすごと故郷に帰らねばならなかった。』出典:アシール・リュシェール,アルベール・ル・ノルデ、『少年少女世界の歴史〈3〉中世騎士の時代/ジャンヌ・ダルク』、あかね書房、1982年,33-35p
 
  •  だいぶ古い本からの引用であるが、中世ヨーロッパにおける封建制度の様子を、よく表現している。君主と臣下の契約関係、地元領地における領主としての顔、陪審に対する命令権などを、物語形式でわかりやすく示している。現在、こうした子供向けの歴史の本はマンガや伝記が多くを占めているようだが、この「少年少女世界の歴史」シリーズは、ヘロドトス司馬遷などの古代の歴史家から、近現代の歴史家に至るまでの著作を子供向けにやさしく翻訳・縮約したものであり、その点特異な地位を占めている。むろん現在の研究水準からすればその内容に異論はあろうが、なによりも読みやすさ、とっつきやすさに関しては並ぶものがない。図書館にはきっと所蔵があると思うので、ぜひ一度ご覧いただきたい。
  •  かねてから考えていることであるが、一時間通してこうした読み物を読むという授業があってもいいのではないかと思う。というよりも、教員が話し、書くという形式である限り、伝えられる情報量は絶対的に限られるのであり、結果、生徒の歴史理解はいわば図式的・箇条書き的なものになる。世界史教育は教養・読書・倫理などの多面的要素を備えたものであり、この読書という面に注目すれば、一時間の授業のほとんどを、歴史書を読むということに充てるという授業があってもいいはずである。一冊の歴史書を読むことは、生徒にとってとても豊かな経験になるのではないか。なんとか実践できないものかと頭をひねっているところである。似たような実践をしている人がいたら、ぜひ情報をいただきたい。

授業に関する近況、雑感10 アイルランド人伝記事典、無料公開

  •  全然気づいていなかったが、いつの間にかDictionary of Irish Biography(DIB)が無料公開されていた。大学に所属してないと見れないとかそういった制限があるんだろうと思っていたら、関連記事を読む限り本当に一般公開されているようだ。興奮してアクセスしてみたら本当に無料で見ることができ、感動した。
  •  DIBはOxford Dictionary of National Biography(ODNB)と同様に学問的に信頼性の高いアイルランド人に関する伝記辞典であり、学生から研究者まで幅広く活用されている。
  •  日本でも近年、ブリテン史の興隆に伴い、特に近世におけるアイルランドに注目が集まっている*1。従来日本のアイルランド研究は古代ケルト近現代史(特に大飢饉、土地問題、文学、北アイルランド問題)に集中していたように思われるが、DIBの公開によって一般の人にも、ほかの時代についてのアイルランドの知識が得られやすくなるのではないだろうか。
  •  この調子でぜひ、ODNBやOxford English Dictionary (OED)も無料公開してもらえると、私のような研究リソースへのアクセスが限られている人間としてはありがたい限りである(余談だが、大学を卒業、修了したあとに電子ジャーナル等にアクセスできなくなるのは本当につらい。諸外国も同じなのだろうか?この点は早急に改善してほしい)。さすがに冊数が違うから、ちょっと難しいかもしれないが。
  •  日本史の辞典もぜひ一般公開を…期待するのはちょっと酷か。それとももう何か公開しているのか?有料のジャパンナレッジくらいしか思いつかない。何か情報あればぜひ教えていただきたい。
 

*1: 『思想』1063号、2012年の特集およびオーマイヤ・ジェーン,後藤はる美訳、「1641年 : 新しいコンテクストとパブリックな視角 (特集 社会史を再考する)」、『東洋大学人間科学総合研究所紀要』22号、2019年、147-157頁など。 

紹介:Marsh, C., U.S. Founding Documents 続き

Marsh, C., U.S. Founding Documents: The Declaration of Independence, U.S. Constitution, and Bill of Rights(Gallopade, 2018)
  •  先週紹介したアメリカの歴史教育、特にDBQ(Document Based Question)における副教材の続き。なおDBQでどのような教育が行われるのかは、前回の記事を参照のこと。
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    内容構成
    •  まずは目次を以下に示す。
    • Table of Contents
      • DECLARATION OF INDEPENDENCE
        • Early Independence
        • Sons of Liberty & The Boston Tea Party
        • The Boston Massacre
        • Loyalists, Neutralists, & Patriots
        • “Paying the Excise-Man”
        • “Join, or Die”
        • Authors of the Declaration
        • Structure of the Declaration
        • Key PhilosophyList of Complaints
        • Created Equal?
        • Influence of the Declaration
      • THE UNITED STATES CONSTITUTION
        • Constitutional Correspondence
        • Articles of Confederation
        • The Great Compromise
        • Federalists v. Antifederalists
        • Article I
        • Purpose of the Constitution
        • The Preamble
        • Separation of Powers
        • Slavery and Compromise
        • Bill of Rights Quotations
        • Amending the Constitution
        • A Living Constitution
      • THE BILL OF RIGHTS
        • The First Amendment
        • Father of the Bill of Rights
        • Rights and Limitations
        • March on Washington
        • The Second Amendment
        • The Third Amendment
        • The Fourth Amendment
        • The Fifth Amendment
        • The Sixth Amendment
        • The Seventh Amendment
        • The Eighth Amendment
        • Ninth & Tenth Amendments
    •  目次を見てもらえばわかるとおり、独立宣言と合衆国憲法、合衆国憲法人権保障規定という三つの歴史的史料に対して、その形成過程と構成内容を、いくつかの小問に取り組みながら毎回学んでいくことになる。章末にはエッセイの課題が設けられ、積み上げ式の内容構成となっている。
    •  掲載されている資料は多くが文書資料で、画像史料は少なめ。若干のグラフィックオーガナイザー(シンキングツー)あり。日本の教材に比べると少しそっけなく思えるが、その分文書史料のインパクトは強い。
     
    問について
    •  問の立て方がなかなか興味深い。例えばボストン茶会事件に関するユニットでは、二次資料の文献引用とともに、4つの問が設けられている。
      • 1:自由の息子たちthe Sons of Libertyの本来の目的は何か
      • 2:自由の息子たちがブリテン政府に反対するために用いた手段は何か、そのうちもっとも効果的だったのは何か
      • 3:ボストン茶会事件を、ブリテン政府の視点から描写しなさい。
      • 4:ボストン茶会事件と高圧的諸法the Coercive Actsの関係性を説明せよ。あなたの答えを担保するのは資料中のどの文か答えよ。
    •  このユニットの問は、「歴史家のように考える」という授業形態を取り入れ始めている日本の教育にも参考になるところが多い。生徒には原則として文章での回答が求められること、価値判断(比重付け)が求められること、別視点での考察が求められること、傍証が求められることなどである。
    •  そしてこれらの作業を行うためには、長文の史料/資料であることが基本的に望ましい(というかそうでないとできないことが多い)、ということになるのであろう。日本との大きな違いは、この文書史料/資料の比重の大きさひとつとっても明らかである。
    •  日本でも模試などでたまに長めの史料/資料が出るが、普段の授業でそれらを読むことに対応できていないのではないか。この点は単に出題形式の問題にとどまるものではなく、どういった能力を伸ばすのか、という教育姿勢の根幹にかかわる問題につながっているであろう。「暗記型」か、「思考型」か、という二項対立が頭に浮かぶ。アメリカでも「暗記型」「思考型」いずれの立場に立つかは議論があるようだが、この副教材からはやはり後者のほうに大きな比重が置かれている印象を受ける。
     
    歴史総合と日本史・世界史探究を見据えて
    •  教育現場には歴史総合の教科書見本が届いてきている。従来の教科書に比べれば、収録されている問は面白く、考えさせるものも多い。しかしながらそれらの問いがどれほどa big pictureに関連しているか(近代化・大衆化・グローバル化など)、投げっぱなしになっていないか、これから実践を通じて精査が必要であろう。
    •  印象論であるが、歴史総合に収録されている問は、個々で見ると面白いものも多いが、総じて小粒か、もしくは他の事象との連関性の低い独立した問いであるような印象を受ける。そのほうが生徒が取り組みやすいのかもしれないが、最終的にa big pictureにいかに連結していくのか、授業者としても工夫が求められるだろう。また歴史総合から日本史探究・世界史探究への接続、連続性は強く意識されるべきであろう。従来の日本史B・世界史Bが名前を変えただけとなってしまっては、結局のところ従来の「暗記型」に終始しかねず、歴史総合での学びが全く活かされないことも考えられる。
     
    歴史教育によって身につける能力とは
    •  なおアメリカの歴史教育においても、DBQの目指す学力・能力がそう簡単に身につくものとは考えていないようである。本副教材の前書き部分には、DBQで身に着けるスキルとは「Life long Achivement」とされている。生涯を通じて用いる能力、もしくは生涯をかけて身につけるべき能力と私は解釈したが、これは「問い」や「資料の読み解き」を重視する歴史総合にも当てはまることではないだろうか。生徒にも教師にも、長い視野で学びに取り組む姿勢が求められているように思われる。
     
     

紹介:Marsh, C., U.S. Founding Documents… DBQによる歴史教育

  • Marsh, C., U.S. Founding Documents: The Declaration of Independence, U.S. Constitution, and Bill of Rights(Gallopade, 2018)
 随分と間が開いてしまった。以前のように毎週とはいかなくとも、何とか隔週くらいで更新できるよう、少しづつ毎日書くことを習慣化したい。というわけで今回は久しぶりの洋書紹介。
 アメリカの歴史教育における副教材を手に入れた。これはアメリカの社会科教育で行われているDBQ(Document Based Question)専用の副教材で、アメリカ合衆国成立初期における歴史にフォーカスしたものである。対象学年はGrade4-12であるから、対象年齢は9-18歳ということになる。ずいぶん広い。日本ではここまで対象年齢を広げた参考書というのは、少なくとも学校教育現場の参考書に関しては、ちょっと思いつかない。
 DBQとは何か。本書から引用しつつ述べると、「生徒が複数の史料を読み、分析して『大きな問a big question』に答える」もので、かつ「生徒は自分の答えを史料から引用した証拠や例で実証supportしなければならない」というものである。当然回答はエッセイ(論述)の形式をとることになるわけであり、日本における論述指導においては(少なくとも社会科教育においては)ほとんど見られなかった学習の在り方である。日本における論述は、専門用語の解説であろうと、特定のテーマの論述であろうと、基本的には事前にインプット(暗記)したものをアウトプットする作業であった。一方でこのDBQは、読解→分析→既存知識との連関→論理的思考による結論のアウトプットという作業を、「複数資料」に対して行うものであり、かなりハードな学習活動である。
 本書のカバーに「DBQは生徒に歴史家のように考えることを教える」とあるように、DBQは近年日本でも浸透してきた「歴史家のように考える」授業形式の一つであり、日本の歴史教育にも参考になるところがあるはずと思う。次回もこの本を取り上げ、DBQがどのように行われるのか、副教材を通じて紹介をしていきたい。
 

教材:トマス・モア『ユートピア』

『こういうわけで、たった一人の強欲非道な、まるで鵜のような、疫病神のような人がいて、広大な土地を柵や垣で一ヶ所にかこってしまおうなんて、とんでもない野心をいだいたばかりに、多くの農民が自分の土地から追出されてしまうことになるのです。或いは詐欺奸計に引っかかるか、それとも烈しい圧迫に屈伏するか、いずれにしても結局土地を奪われるのですが、時には不当極まる迫害のため、すっかり痛めつけられ、やむなく一切を売り払うということもあります。無理無体なといいますか、まるで手段を選ばない卑劣な策動に乗せられ、この憐れな、無知な、みじめな百姓たちは自分の土地から出て行かなければなりません。そこには男女も、良人の妻も、孤児も、更に寡婦の乳吞児をかかえた母親もいます。百姓仕事というものが元来人手を多く要する仕事なので、頭数だけは多いが、財産は殆んどない、といった全家族の者が一団となって出てゆくのです。彼らは住みなれた懐しいわが家を捨てて、とぼとぼと寄るべない放浪の旅に出て行きます。家財道具にしても、もともとたいした値打のあるものではないのですが、それでも時期さえよければ、もっと値段よく売れたかもしれません。しかし今は、あまり突然のことなので、殆んどが、ただ同然の捨売りをするより他に仕方はありません。こういうわけで、あちらこちらと放浪している間には、その金もすぐに使い果してしまいます。そういう時、彼らに残された道としては、泥棒を働き、そしてその結果正しい法の裁きを、そうです、正しい法の裁きを受けて絞首台の露と消えるか、それとも乞食をして歩くか、そのいずれかしかありません。しかし乞食をすればするで、下手すると働きもしないでうろついていたというかどで、浮浪人として牢獄にぶちこまれます。彼らだってどのくらい仕事につきたがっているか分りません。ただ誰も仕事を与えてくれないだけの話なのです。〔それも無理はありません、耕作地が少しもないのですから。〕それで結局、生れた時から手なれている百姓仕事も全く用をなさないことになる のです。従来なら、耕やすのに大勢の人手のいった所でも、いざ喰潰すとなると、家畜と一緒なら、たった一人の羊飼か牧夫でまに合うのです。』トマス・モア、平井正穂訳、『ユートピア』、岩波書店、1957年、28-9pp。
 
 
 トマス・モア『ユートピア』といえば、高校世界史でいえば第一次囲い込みを象徴する「羊が人を喰う」のフレーズばかりが取り上げられる。しかし『ユートピア』はイギリスを風刺対象としながら内容が展開していくため、この有名なフレーズ以外からも当時のイギリス政治や社会を類推させる材料を随所に見つけることができる。上記引用部分は第一次囲い込みと関係する記述だが、「羊が人を喰」ったあとの農民たちの行く末を、また行政の姿勢をも読み取ることができるだろう。こうした生々しい描写によって、生徒はより創造豊かに「羊が人を喰う」第一次囲い込みを考えることができるのではないだろうか。もちろん文学作品である『ユートピア』をどこまで実証のための史料として用いることができるかは考えなければならないが。それに応じて授業への活用の仕方もまた変わってくるだろう。
 実際の授業では以下のような形式の問いを設けることを考えている。それまでの授業内容を踏まえ、『ユートピア』を用いて当時の社会の一面を考えさせるための問いである。まったく推敲していないため、今後よりよい選択肢を考えねばならない。
 
上記の史料と矛盾しないものをすべて選べ。
  1. 当時、ノルマン人やイスラームの進出などで貨幣経済は衰退し、現物経済となっていた。
  2. 十字軍をはじめとしたヨーロッパ世界の拡大により商業が復活し、農村世界も貨幣経済が浸透していた。
  3. 囲い込みを行ったのは富裕な商人である。
  4. 政府は絞首刑を課すことで、囲い込みを禁止しようとした。

教材:九儒十丐

    • 教材:九儒十丐
      • 漢代以来、国教的地位の揺らいだことのない儒教は重視されず、その学徒である士大夫たちは、「官、吏、僧、道、医、工、匠、娼、儒、丐」の一〇階級のうち、第九位にランクされる程度の身分として扱われるにすぎなかった。出典:寺田隆信『 物語中国の歴史』中央公論新社、1997年、214p

     

     学生のころの記憶では、元朝といえば「モンゴル人第一主義」であり、有名な4つの身分による社会統制が印象に残っている。第一位に君臨したモンゴル人は、儒学を軽視し、科挙を停止。士大夫層は不遇をかこった。上記に引用した寺田の著作も、基本的にはこうした見解をとっていると思うし、上記史料もまさにこうした見解を裏付けるものとして扱われている。

     しかしながらこのような歴史像は、変更を迫られているようだ。山川教科書には「武人や実務官僚が重視され、科挙の行われた回数も少なかったため、儒学の古典に通じた士大夫が官界で活躍する機会は少なかった」(『詳説世界史B』山川出版社、167-8頁)とされており、科挙が全くなくなったわけではないこと、「官界で」の活躍が少なくなった(人口比では南人がモンゴル人を上回っている)という程度に解釈しているように思われる。

     野口鐵郎編『資料中国史 前近代編』白帝社、1999年 においても、上記史料の記述については『実際に制度的にこのような序列が存在したわけではない…これは強烈な反夷狄感情をもっていた作者のことばである』(同上、181p)としている。また中央・地方政界における4身分の役割についても、いまだ十分な実証が行われたとは言いがたい面があるようだ。

    * なお上記史料について、野口『資料中国史』では鄭思肖によるもので、『一官、二史、三僧、四道、五医、六工、七猟、八民、九儒、十丐』とされている。寺田・野口で引用されている二つの史料中における、二位、七位、八位は明らかに意味が異なるのではないかと思われるが、中国語が全くできないため判断できない。どなたかご存じの方、ご教授ください。

    • 解釈をさせる史料として

     上記の史料自体は簡潔ながらインパクトの強い資料として時間のない授業中でも扱いやすいのだが、上記のように実態と乖離した歴史像を生徒に与えかねない。よって歴史像の実証のための史料というよりも、著者の主観が強く反映された史料として、史料批判の題材として扱ってはどうだろうか。