世界史の糸

レオナルドやエジソンにはなれないけれど

ジェネラリストでもスペシャリストでもない、一教師の試行錯誤の記録。旧ブログ名:世界史の糸から改題しました。

授業に関する近況、雑感6。ノートテイキング

 世界史でのノートテイキングに関する指導をいかに行うべきか。
 
 大学での学びも視野に入れたうえで、1講義を聴く 2論理展開を理解する 3重要部をノートにまとめる という学びの方法をきちんと身につけさせたい。一連の過程を実践するには、講義を受動的に受け取るだけに終始するのではなく、積極的に論理展開を把握し、情報の重要性を判断するため「考える」ことが必要になる。このような学びの姿勢が重要であることは疑いの余地がない。
 
 だが中学校までの教育において、ノートテイキングといえば黒板をそのまま写す、というのが主流だった(少なくとも私はそういう教育を受けた)。正しく文章を写すことができるというのは、人文系学問において必要とされるスキルの一つではある。しかし中学校まで(というか高校においても)ノートテイキングといえば板書を写すだけ、という教育を受け続けてきた私は、今でも自分なりに講義内容をまとめ、整理されたノートを作成するのが極めて下手である。今の生徒たちには、私を反面教師として、ノートテイキング=板書を写すという状態からの脱却をしてほしいと感じる。
 
 しかし穴埋めプリントを用いている時点で、ノートテイキングを指導することはかなり難しい。穴埋めプリントを用いる理由は授業進度を早めるためであり、仮に「穴埋めをしながらノートも取りなさい」といってもノートにまで手が回らないのではないだろうか。大体において穴埋めプリントはそれ自体で完成しており、結構な細かい情報まで盛り込まれていることが多いだろうから、そもそもノートテイキングする必要がないということもあるだろう。いずれにせよ穴埋めプリントでは、板書をひたすら写すという思考停止状態と似たような状態に陥りやすい。穴埋め部分だけをひたすら写していくのである。
 
 そこで私がしばらくとっていた方法は、プリントの余白にメモをさせる、というものである。一時期はこのメモの多寡を平常点に組み込んで、強制的にメモを取らせるようにしていた。近年は大学でもパワーポイントの資料などが配布されるケースは多いから、現実的にはこのようにメモを取らせる習慣をつけさせるのは悪くない選択肢である。
 ただしこの方法だと、散発的な重要情報や具体例は書き取れても、講義全体の流れや論理展開、講義内容の咀嚼、講義内容の再構成とアウトプットといった点では極めて弱い。私自身は、論理展開や内容の再構成を自分でやってみることは、理解を深めるために必ず必要となるものだと思っている。これをしないと、情報の羅列を整理できず、今何を学んでいるかがよくわからなくなるからである。
 
 現在はプリントにコーネル式ノートのスペースを組み込んでいる。コーネル式ノートの説明は他所にゆずるとして、プリントに組み込んでいる理由は、穴埋め式プリントに慣れていると、プリントとノートをいちいち照らし合わせながら復習をするのが面倒なためである。コーネル式ノートであれば、授業中のノートテイキングと復習のノートづくり、まとめとしての文章化を同一ページ上で行うことができる。
 
 問題はいかにこのコーネル式ノートテイキングの指導を行うかである。使用方法の例は事前にプリントで配布したが、「自分なりにノートを取る・作る」が原則となるため、教員のほうから具体的な指導がしにくい。学期末アンケートで聞いてみたところ、生徒もなかなかうまく活用しきれていないようだ。平常点に組み込んでノートをチェックすることも考えたが、「自分なりに作る」ノートをいかに評価すべきか。コーネル式ノートに則った形での、自由なノート作りを推奨する一方で、ノート作りという行為を強制するというジレンマに陥ることになるのではないか。
 しかしコーネル式ノートテイキングが定着すれば、予習ー授業ー復習というサイクルが上手に回る(私の授業では穴埋め形式の予習を課している)。実際、数は多くないがコーネル式ノートを活用して、一連のサイクルを確立している生徒もいる。学び方を身に着けさせる、という点でも、ノートテイキングを指導する意義はある。
 試行錯誤は続く。