世界史の糸

レオナルドやエジソンにはなれないけれど

ジェネラリストでもスペシャリストでもない、一教師の試行錯誤の記録。旧ブログ名:世界史の糸から改題しました。

授業に関する近況、雑感3。シンキングツールの活用をもっと増やしたい。

 シンキングツールの活用をもっと増やしたい。
 生徒に考えさせたい、思考を文章化させたいと思いつつ、準備してきた問を提示した…としても、いつも厳しい現実に落胆させられてしまう。圧倒的に回答率が低いのである。一問一答形式の問いは記入していても、文章で書かせようとすると空欄。このような経験は私一人だけではないと思う。
 国語の教員に話を聞いてみると、文章で書かせる問題だとしても空欄のまま平然と提出、もしくは解くことを放棄している生徒はそれほど多くないという。同じ生徒なのに、教科が異なるとこれほど行動が異なってくる。一体この違いはどこから来るのだろうか。
 やはりこの違いは社会科における問の質に起因していると思う。国語の文章記述問題の大別すれば、おそらく文章の要約か、もしくは筆者の意見に対する自身の意見表明である。いずれの形式にせよ、与えられた文章に大きく依拠していることや、筆者の意見の理解を本質としていることは共通している。これに対して社会科は当時の政治システム、社会、文化といった抽象的な概念に対しての問いが中心になりがちで、生徒にとってとっつきにくい感があるのではないか。もちろん歴史上の人物を取り上げ記述させるような問題はその限りではないが、それにしても当時の歴史的文脈を踏まえることを我々社会科教員は生徒に要求するから、生徒からすれば間違ったことを書くことを恐れて最初から書こうとしないのかもしれない。
 このような状況を打破するために、シンキングツールの活用は有効な手段の一つになるのではないかと思う。小中学校では活用がすでに進んでいるようだが、高校ではあまり授業で用いている人を見たことがない。高校での実践事例の蓄積が望まれる。
 シンキングツールの利点は、そのとっつきやすさにある。アイデアを出したり考えをまとめたりする際に利用するものとして、ブレインストーミングなどの手法がよく挙げられるが、ブレインストーミングは自由度が高すぎて逆に書けない、という事態を何度か経験した。それに対してシンキングツールはある程度考える・書くことの方向性が与えられるため、生徒も思考に集中することができる。長い文章でなく、キーワードや短文での記入でよいという点も生徒にとってはとっつきやすい。シンキングツールで大まかな筋を考えさせたうえで、それをもとに文章化させる。こうすれば、生徒も文章を書けるのではないか。また文章を書くことだけではなく、我々教員が願ってやまない「考えること」を促しやすいツールであると思う。
    いくつか日本語文献でシンキングツールの書籍はあったが、目を通したのは以下の文献。
 いずれも授業で使えそうな魅力的なシンキングツールが多く紹介されているが、世界史の授業で使う際には少しアレンジが必要だと思う。
 以前このブログで公開したフランク王国の分析も、ここで紹介されているシンキングツールを使っている。三つの観点を指定することで、生徒は特定の観点のみにとらわれることなく、広くフランク王国について考えることができていた。ノーヒントでは、面倒くさがって目についた特定の観点・記述のみに着目して解答を仕上げてしまう生徒をよく見かけたが、シンキングツールによってこうした点も克服しやすくなるのではないか。
 今後は、シンキングツールの活用の実践事例を積んでいくこと、そのうえで方法論を構築していくことを目指したい。どういった学習内容に対してどのシンキングツールが有効なのか、評価をどうするのかなど、探求すべき点は多い。なお、厳密にはシンキングツールとは言えないかもしれないが、アメリカの学校におけるワークブックで興味深い本を手に入れたため、今後取り上げる予定である。