世界史の糸

レオナルドやエジソンにはなれないけれど

ジェネラリストでもスペシャリストでもない、一教師の試行錯誤の記録。旧ブログ名:世界史の糸から改題しました。

授業に関する近況、雑感9 世界史授業への文学作品の活用について:追記

    • 世界史授業への文学作品の活用について:追記
 世界史授業の文学作品の活用について、以前記事を書いた*が、新しい参考文献を見つけたので追記する。
日下部公昭,作業を取り入れた授業 読書活動を時間内に取り入れた授業の試み、歴史と地理 (706)、2017年、16-25頁。
 また英語圏で同じような関心のもと実践がないか少し検索してみたところ、やはり結構な数がヒットした。これらも今後読み込んでいき、必要に応じて記事を書いていきたい。
 
    • 問題点は解消されていない
 日下部による実践報告は、私の関心や考え方とかなり似通っているのではないかと思われる。先行する実践を踏まえ、その問題点を、文学作品の通読を前提としていること、また文学活用の授業に2~3時間が割り当てられることも多く授業実践に時間がかかりすぎることに求めている。そのため私の実践では、1時間の授業で完結するためにドーデの短編『最後の授業』を用いて、特に事前の予習(つまり文学作品を事前に通読してくること)も課さずに授業を行っている。こうした姿勢は筆者と共通するものである。その一方で、事例がドーデの作品のみにとどまっていることもあり、文学作品を用いた授業やその活動内容のある程度の一般化は行われているとはいいがたい。私の学習観では、反復なしに身に着けることは困難であるとの立場に立つため、単発の授業で終わってしまうのではなく、日々の授業の中で繰り返し文学作品を用いた実践をしていきたいと考えている。そのためには、ある程度の方法論の定式化は必要であろう。
 定式化に際しては、授業における文学作品の活用を妨げる諸要素と共通する問題点への解決が必要である。以前の記事でも言及したように、1.読むのに時間がかかる:宿題にするには負担が大きいし読んでこない生徒への対応の問題が生じる。かといって授業時間中に読むとなると時間がない。2.準備及び配布が困難:文学作品を通読することを前提とすると、生徒の手元に現物が届くようにしなければならないが、生徒に購入させるには絶版でない本にしなければならないうえに、頻繁に購入させるのは現実的でない。かといってコピーの配布は量的にも非現実的である。教員の準備も間に合わないだろう。また昨今の多忙さを考えれば、長編作品を読み通して授業準備を行うのは、研究授業のように単発で行うならまだしも、できるだけ頻繁に…というのは不可能に近い。
 
    • 短編小説の活用と活用可能作品情報の共有
 こうした問題を解決するのに、日下部実践にあるような「短編」の活用は現実的な解決案である。『最後の授業』ほど短い短編はなかなか無いかもしれないが、短編であれば必要箇所を探すのも、プリントを準備するのも長編に比べれば楽であろう。こうした授業に活用しやすい作品を、教員間で情報共有したいし、していかねばならないのではないかと思う。どこかにそうした作品一覧があってもいいような気がするが、管見の限り見つからない。
 そしてそうした作品をいかに授業で用いたか、そうした実践事例を集積し、方法論の定式化を図る。実際に授業を行う際には当然作品や学習箇所に応じてアレンジをすべきであるが、大まかに「このように用いれば文学作品を用いた授業が成立する」という方法があれば、教員としても取り組みやすい。
 今後はこのブログでも具体的な作品と活用事例に関して記録を残すつもりである。また是非、文学作品を用いた授業の事例に関して、情報をお持ちの方はお知らせ願いたい。